京都芸術大学 アートプロデュース学科

2020年度 奨励賞

水面から差す「青緑色の微光」

──19世紀パリにおける空間装置としての水族館──

舟瀬 翔一朗さん

📝要旨📝

サロンが暗いために、外の明るさが、いっそうきわだっていた。わたしたちは、この透明なガラスが、まるで巨大な水族館のガラスであるかのように、ながめていた。

フランスの小説家ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne,1828-1905)の『海底二万海里』(1869-1870)に登場する一節である。主人公らの乗船する潜水艦ノーチラス号は動力のすべてが電気仕掛けであり、艦長ネモは電気の利便性を称揚するも、水面下の住人との出会いの窓辺にその明るみは招待しなかった。潜水艦であれ水族館であれ、暗がりのもとで水族の観察は行われ、それは水族館成立後の19世紀に生まれた眺めの様式である。当時の水族館に対しての評価はそれをより明瞭に示す。

『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』(1853年5月28日)の記事には、1853年に誕生する世界初の水族館フィッシュハウスへ「快適な光の下で、しかも上からでなくあらゆる角度から、見ることができる」と賛辞が記されている。それは壁に沿って並ぶ大型水槽と机上の小型水槽によるシンプルな展示であった。この展示空間に対し1862年、ドイツ人記者が記した『レヴュー・ブリタニック』では、均等に入ってくる光のために観賞がかえって困難と酷評している。かわりに賞賛されたのが、1860年に開かれたパリのジャルダン・ズーロジック・ダクリマタシオン付属水族館である。このパリの水族館は、長さ40メートル、幅10メートルのギャラリーの壁沿いに四角い水槽が配列された展示空間でフィッシュハウスと同様にシンプルな展示空間であったが、記者は水槽の上部から差し込み暗闇を微かに照らし出す緑の薄明かりを激賞したのだ。

1867年パリ万国博覧会にも水族館は設けられ、水槽上部から差し込む光の工夫も用いられた。淡水水族館、海水水族館からなるこの水族館は、地面をくりぬき建てられ、ガラスをつなぐフレームや柱を岩石で覆い隠した洞窟風の楕円形のホールを有していた。洞窟を模したホールの水族館は万国博覧会にあわせ度々建設され、世紀末に渡りフランス・パリにてもてはやされた。『水族館の文化史 ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』(2016)の著者溝井裕一(1979-)は、ジャルダン・ズーロジック・ダクリマタシオン付属水族館の調光に始まる展示空間への取り組みを、幻滅を誘う要素を隠し没入を促す、非日常の体験の追求と示した。それは、板ガラスが温度や湿気、音、匂いを取り去り平面化する水中場面をいかに3次元的に見せるかという、視覚情報の肉付けだという。

そうしたスペクタクルは「知」との引き合いにある。

博物誌による分類、王侯貴族らに始まる水族の剥製らの蒐集、水槽内に生態系再現を試みる化学の実践、冷静な視座の獲得のもとで水族館は誕生する。先述のフィッシュハウス、ジャルダン・ズーロジック・ダクリマタシオン付属水族館は動物園のなかに生まれ、それは野生を内包する動物のスペクタクルとともに「動物の属と種を明快に提示するシステマティックな分類学的空間」である。

パリ万国博覧会の洞窟風のホールは、博物誌の分類表の如く水族を仕切る水槽のフレームを岩の奥へと埋没させる展示空間である。ジャルダン・ズーロジック・ダクリマタシオン付属水族館に連なる横並びのタブローは、縫合され観衆を取り巻く風景へと姿を変える。観衆は岩陰から顔を覗かせ水中の眺めを楽しむ一方、歪な岩肌の不定形な曲線をなぞり、冷静な視座はその揺らぎを触知する。

本稿は19世紀の水族館に生まれる「知」とスペクタクルの、視覚と触覚の特異な緊張関係を、フランスの水族館の原風景、パリの都市との通底から読み起こそうとする試みである。

第一章では、古代から近代の水族館誕生にかけての水族利用の過程を追った。そこでは神や人の力の及ばぬ怪物と結びつけられていた水族がその神秘性を失う過程が見られた。時に観察を通じ知的体系に取り込まれ、好奇の対象となり収集され、はたまた飼育により管理されては、ガラスの器で地上に連れてきたなかで彼らの神秘のヴェールは剥ぎ取られた。

第二章ではフィッシュハウスと、フランスのジャルダン・ズーロジック・ダクリマタシオン付属水族館の評価への評価の違いに始まり、パリ万国博覧会の水族館(とりわけ1867年)の展示空間を取り上げ見てきた。そこでは自然史博物館、動物園という博物学的分類の系譜にある水族館が、触覚と視線の緊張関係の場へと変容するフランス水族館の変容が見てとれた。

パリの水族館は、異界への越境する視線と「知/野生」あるいは「都市/異界」の揺らぎ、薄れつつある境界面の触覚的感覚との緊張関係に観客を捕らえこむものであった。そして、立ち入り周遊する身体を無意識のうちに絶え間のないサスペンスに保つことによって、水族の棲まう異界を幻想的に立ち現れさせる、差異操作の空間装置である。

世界中からパリの都市へ移植し、所有し分類し集積させる欲望は、知の体系というフレームを歪める無限定な「怪物」を渇望する。全てを所有し集積しうるという全能感を帯びた展示室と、水面下の異界との同化によってその機能が不全をきたす、無意味な記号の廃墟との間に観衆は立つことになる。古代畏れとともにあった水族利用の念は、19世紀の博物学的分類の危機に際して疑似的なものとして姿を現すのである。