京都芸術大学 アートプロデュース学科

2021年度 奨励賞

「ことば」を、味わう

──ソムリエが提供するコンヴィヴィアルな喜び──

田中愛さん
伊達ゼミ

📝要旨📝

 熟知された食への知識と、鍛錬された知覚能力。そして、ソムリエの口から飛び交う味わいの音色は魅惑な香りを解き放ち、私たち消費者を心地よい食卓へと誘う。
 「食卓」の舞台は、生理的欲求や栄養補給の獲得を達成する「食事」とは異なり、人と人とのふれあいや、誰かと何かを分かち合うといった、人間だけに限られる特別な空間として存在する。このことは、主にフランス語で「コンヴィヴィアリティ(convivialite)」と呼ばれ、名だたる美食家として知られるブリア=サヴァラン(1755-1826)も、食事において最も重視した思想である。この語の派生は19世紀初頭、誰かを食事に誘う「convier」にはじまり、会食者である「convive」、そして宴会や会食趣味を表す「convivial」から成り立った。言葉の派生が、まさしく人類の生き様を示すように、圧倒的弱者であった類人猿は共食による舞台から他者や自己の認識からなる集団性・協調性などを築きあげ、それから言語や文化・道具などの発展をもたらし、今日までつながる人類存続を可能にした。
人類の歴史と言葉の派生から考えると、社会で生存していくための能力や文化の創造の発端には、他者と共に食を囲む舞台が大きな鍵になったと主張できる。
 つまり、「コンヴィヴィアリティ」という言葉に含まれる意味合いは、共食の舞台からなる人と人とのつながりと、さらにそこから生じるプラスの感情として説明できよう。
 しかし、1980年以降「孤食」が増加し、2020年に流行した新型コロナウイルスによって、さらに食卓を囲む舞台が減少した。孤食が孕む危険性に、利己主義の増長や集団で生きる能力の衰退、また所属性の認識減少によるアイデンティティの喪失や自己発見の機会減少が挙げられる。筆者は、衰退しつつある共食の舞台を取り戻すことを本稿の目標とするが、現代ならではの個人を尊重する風潮に、家族や他者との会食時間を設けることを望む主張は逆効果に過ぎないと考える。
 そこで本稿は、新たな方面から共食の舞台を支援する方法として、現代に潜む別の危険性に「共食」がその救世主として機能することを提示する。
 このことを明らかにするために、第1章では、産業社会におけるサーヴィスや制度・専門性といった「道具」への依存による個人の創造力・思考力衰退の問題を、イヴァン・イリイチ(1926−2002)の『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫、2015年)を参照して研究を進めた。ここで用いられる「コンヴィヴィアリティ」という語は、上記で述べた意味とは異なり、道具への依存から逸脱するための方法として提唱された学術的な意味を含む。それは、道具によってもたらされた制度や専門性の限度を自覚し、自律的に考え、相互依存のなかで他者や道具と共生的に生きることを目指した思想である。また、そのような社会を「コンヴィヴィアル(自律共生)」という。しかし、イリイチが提唱する「共生」という言葉は、現代の社会において「認め合うこと」「尊重すること」などといった口当たりの良い道具として扱われつつあり、結局のところ個人の創造力や思考力の衰退に加担する危険があり、イリイチが提唱する「コンヴィヴィアリティ」が消化不良になりつつあることを明らかにした。同時に、今後人間が人間として生きるために重要となる戦略を見つめ直し、自律共生を実践するための手段として、これまで人間関係や文化など築き、創りあげてきた「共食」に立ち返ることがイリイチの提唱する「コンヴィヴィアル」へと辿り着く架け橋になり得ると結論づけた。
 第2章では、ブリア・サヴァランが食卓での喜びを味わう上で最も尊重した「会食者」にソムリエを当て、共生的に生きる実践の手段を提案することを目指した。ソムリエが特に専門とするワインは、人間・道具・自然・生物との共生、さらには時代や神・死者との関わりによって生まれる、唯一特別な酒として愛される。ソムリエは、味わいから得る目には見えない醸造の背景や物語・記憶を「ことば」によって可視化することで、それを飲む人にあらゆる世界や人生の甘酸辛苦を味わわせ、人びとに多くの「目」を獲得させると主張した。そして、それは人びとの創造力や思考力を回復へと導く手段としての役割を持つと結論づけた。
 第3章では、言語表現に用いられる技法を読み取りながら、対話の中で意味の交換や新たな関係を築く方法を提案することを目指した。同時にそれは、「道具」の進化や他者との相互依存が求められる社会の中で自己実現を叶える手助けにもなり得ると考える。
ソムリエが話す/放す「ことば」から関係や意味を創りだす方法として、言葉の表面が真実/現実であるという概念を破棄し、両者の間で起こる対話のなかで「わたし」という自己が形成されていくという意識を持つことが重要となると結論づけた。
 目には映らない「味わい」の比喩表現からはじまる広い世界の創造は、イリイチの望む「コンヴィヴィアル」を実現すると同時に、共食の楽しみからなる「喜び」を味わえるだろう。ソムリエは単に味を判断する「評論家」だけでなく、消費者に創造や意味を提供する「演出家」としての顔をも秘めることを見出し、本稿を終えた。