京都芸術大学 アートプロデュース学科

2020年度 奨励賞

閃光と煩悶

――成人式にみる、過渡期を足掻く若者たちの通過儀礼――

坪井はるなさん

📝要旨📝

 2000年頃から「荒れる成人式」と報道されることも多くなった成人式。多くの報道では、「大人の自覚がない」というような旨で成人式を荒らす新成人が批判され、子供から大人になるための式典を静かに遂行できないことが問題視されている。その現象が起こる理由について単に「若者が目立ちたいから、大人になりたくないから荒れている」というように考えられていることに筆者は疑問を持ち、年々参加人数が減少傾向にあることも問題視され、しかも強制参加でもない成人式に向けて、晴れ着などを用意しそこで「荒れる」というアクションを起こすという現象は、彼らなりの通過儀礼のかたちなのではないかと考えたのである。そこで本論文では、「荒れる成人式」といわれる成人式のどのような様子が通過儀礼としての役割を果たしているのかを明らかにすることを目的とし、「通過儀礼」と「成人式」を改めて見つめ直す。

 まず、成人式で起こるどのような出来事が「荒れている」というように報道され始めたのか具体例をみていくと、会場周辺での騒動や暴行行為の報道も多かったが、会場内での式典進行の妨害が特に多い。また、その式典進行の妨害に対して、「神聖な式典の場でああいう⾏動をとったということは、成⼈になる資格がない」という旨のコメントが出されていることから、「荒れている」と判断される基準が「子供から大人になる神聖な通過儀礼の場を壊してはいけない」というものであると考えられる。

 次に、成人儀礼と成人式の歴史を振り返り、成人式が誕生した当初の目的と、「子供から大人になる神聖な通過儀礼としての成人式」という現代の暗黙の基準との食い違いを指摘する。日本の成人儀礼は、奈良・平安時代から明治以前までは、霊峰への登拝や力石を持ち上げるなどの肉体的試練を経るものなどが行われていた。現代のような自治体主催の成人式は、1946年に戦後復員し「虚脱状態」にあった若者たちを元気づけようと開催された「青年祭」が始まりと言われている。内容は演芸会やバザーなどを含んでおり、儀式というよりもイベントのようなものであったと考えられている。しかし、現代の成人式は、「成人としての自覚を促す式典」などという目的に変わっていることから、戦後誕生した成人式のように新成人たちを祝うことを目的に開催されているわけでもなく、目的こそ戦前の成人儀礼のものと近いが、戦前のように、大人から成年としての自覚を促された若者が成人になることを自覚できるような出来事があるわけでもないのである。

 これらをふまえ、「通過儀礼」がどういった意味や概念なのかを、ファン・へネップ(Arnold van Gennep,1873-1957)の3段階論を引用しながらみていき、近年の成人式での「大人になりつつある新成人の子どものような振る舞い」のどのような点が、通過儀礼を達成しているのかをみていく。「通過儀礼」とは、段階ごとの程度の差などはあるが、分離・過渡・統合の段階を経るという概念のことで、それぞれの段階で特徴的な経験を経るとされている。「分離」の段階では分離の段階になる以前まで置かれていた社会上、文化上の立場から離れる状態のことを言い、成人式だと晴れ着を身に纏い、成人式以前とは違う姿へと変身し、昔の友達と再会するという経験があげられるのではないだろうか。次に「過渡」の段階だが、「過渡」は分離以前の状態と統合以降の状態をわずかずつしか持たず、立場などがかなりあいまいな状態となることを特徴とするとしており、成人式だと、式典の進行を妨害したりするなど、子供のような「分離」以前の状態と、お酒を飲んだりタバコを吸ったりするなど、大人のような「統合」以降の状態のそれぞれをわずかずつ持ち合わせ、あいまいな状態の様子が挙げられるのではないだろうか。最後に「統合」の段階だが、統合は新しい立場やカテゴリーに位置づけられる状態のことを言い、成人式だと、成人式が終わった次の日から家族を養うために働いたりする新成人たちのことを挙げられるのではないだろうか。成人式の3段階を経験することで、改めて新しい自分として社会に参入するという意識があるのではないだろうか。以上のことから、ファン・へネップの「通過儀礼」を達成するには、分離・過渡・統合の段階を経る経験が必要となること、近年の成人式での「大人になりつつある新成人の子どものような振る舞い」を経ることこそが「通過儀礼」を達成する段階を正しく踏んでいると考えられることがわかった。

 青年から成人への移行過程が複雑化している現代の日本において、「大人になる」ということを達成するのは非常に困難な状況にあるといえる。そんな中、本論文で子供から大人への通過儀礼について改めて見つめ直した際に、分離・過渡・統合の段階を経ることと同時に、子どもから大人への移行期間にはある程度長い時間を必要とし、且つ大人と子どもの狭間の「過渡」の段階を味わうことが重要だと考えられることがわかった。もちろん暴行や器物損壊は許されないが、「成人式」という場で大人になりつつある新成人が子供のような振る舞いをすることに対して、単なる若者たちの気まぐれ的な行為というような見方は適切ではないと考える。大人と子どもの狭間で選択するものも選択の仕方も、その時期も多種多様な生き方をする若者たちは、閃光のように輝く瞬間と煩悶とを繰り返しながら、成長していくのである。