京都芸術大学 アートプロデュース学科

2022年度 奨励賞

苦悩からの脱却を試みる「もの」と「精神」

日本建築界における西洋化の意義を考察する

谷浦萌絵さん
山下ゼミ

📝要旨📝

 本稿では、『日本文化の型と形』の著者である杉山明博の、「もの」と「精神」は相互に作用しあう一体化した関係にあると述べた論を参考に、「もの」を住まい、「精神」を住人の精神と置き、論を進めた。
 筆者は、近世までの日本では「もの」と「精神」が一体であった関係が、明治から大正にかけて急激に進められた西洋化によって崩れたと考えている。本論文において筆者は、住まいに注目し、住まいの住み手と造り手に視点を分けて論じている。住み手に関しては「夏目漱石」で知られる小説家、本名、夏目金之助(1867-1916)を題材として住まいにまつわる具体的な葛藤を抽出した。造り手には、西洋化が進む当時の棟梁や建築家達の手法、論争を用いた。
 本論文の第一章から第二章では、明治以前の日本家屋の間仕切りが「家」という日本人ならではの精神と一致していた、すなわち「もの」と「精神」が一体となっていたことを述べた。
 第三章では、そこに西洋文化が導入されることで「もの」と「精神」の間にずれが生じ、住まう人々と建築家が苦悩するさまを、住み手と造り手の視点に分けて述べている。住み手の視点では、住まいへ〈ガラス障子〉が導入されたことによる、夏目が感じた違和感をとりあげた。造り手の視点では、西洋の技術を普遍的な価値として捉え早急に摂取する建築家たちが、我が国の建築の在り方としてこのままで良いのかと論争するさまを述べた。そして第四章にて、住み手と造り手の両者が苦悩からどの様にして抜け出し、歩み始めたのかを考察した。
 明治以前、日本家屋特有の豊富な種類の建具による間仕切りの構造と日本人ならではの精神、すなわち「家」という概念が存在した。しかしその概念におけるウチとソトは、主に日本の内部のみでの狭い範囲における区別であり、また、古代から続く物理的に仕切らない家屋についても、これが異国と比べてはどうかなどと考えはしなかった。
 しかし明治時代に入り西洋文明を必死に吸収する中で、家屋に住まう人々と建築家たちが、〈日本人としての自分自身〉または〈日本文化における建築〉を認知し、自らの在り方とその立ち位置について、ようやく考え始めた。
 その結果、住まう人々の精神を代表する夏目は、西洋人になりきるのではなく、うまく個人主義をかみ砕き「独立した一個の日本人」という「自己本位」にたどり着いた。これにより、夏目は「個」として区切られる西洋技術が入り込んだ家屋にも対応しうる立脚地を体得したのではないだろうかと筆者は考える。
 また同じように日本の建築界も、西洋の建築技術のみを普遍的な価値とするのではなく、様々な技術を適切に駆使し構造をつくれば自然と様式も決定される、〈構造が表現をも兼ねる〉という様式に寄り添う姿勢を見つけたのである。
 筆者は、こうして急速に西洋技術を取り入れることで、人々の環境が大きく変化し日本の住まいと住み手という「もの」と「精神」の関係にずれが生じたが、その後それぞれが苦悩し、時の流れに耐えうる姿勢が生まれた事により、再び「もの」と「精神」の両者が歩み寄ることができたと考えている。
 しかし、一体であった両者のずれ込んだ関係はまだ歩み寄っただけに過ぎず、苦悩からの脱却を経て再び一体化したとは言い難い。なぜなら「わが国将来の建築様式をいかにすべきや」という討論において〈構造が表現をも兼ねる〉と建築界が当時一旦出した結論は、結局は技術を最優先することには変わりないからであって、表現(つまりは様式・精神)を対等に扱ってはいないからである。
 また、夏目のたどり着いた「自己本位」も、まだ不完全であると感じる。自己を「独立した一個の日本人」とする考え方は、〈西洋人化しない〉という抵抗心から生じた考えであると捉えられ、「家」という精神をもって育った自身と「個」になろうとする自身をうまく一身において統一しているとは言い難い。
 ともあれ、西洋化が始まる明治から大正にかけて、日本では「もの」と「精神」のつながりが揺るぎ、「家」という集団の中に生きていた人々が、「個」を自覚した。また、技術の吸収に必死だった建築界も、日本文化・様式を自覚した。
 本稿ではこれらの気づきと共に、家屋の明確な「距て」に対応しうる住み手側の「自己本位」という精神の獲得と、後の建築構造における造り手側の表現の拡大を可能にしたことが、日本の建築界において西洋化がもたらした価値であるとして本稿を締め括っている。