京都芸術大学 アートプロデュース学科

2024年度 同窓会特別賞

舞台芸術の権力構造に対する変革へのアプローチ

「ケア」の視点と実践を中心に

堀 愛子さん
蔭山ゼミ

📝要旨📝

近年で、演劇業界の現場で起きるセクシャルハラスメントや性暴力の問題から、業界の権力構造や現場環境が男性中心主義的であること、現場内での差別や偏見、 先入観による行為の実態に問題意識が向けられ、フェミニズムの視点からジェンダーの不均衡や権力構造を維持する仕組みに対する見直しが行われている。しかし、その一方で、一時的で表面的な解決にとどまり、問題が流行として消費され、マイノリティの問題をマイノリティだけが受け持つような実態から、見直しの中に権威的な姿勢が存在するのではないだろうか。それは、既存の構造を維持し続ける仕組み、男/女の二元論的なジェンダー/セックスを元にした「女性」の規定等が関わっていると考えられる。どのように他者化、ジェンダー化されてきたかを問うことそのものが必要であると考え、筆者自身が創作に携わる当事者として、個人の意識の変革、そのための現場環境の設計の見直しが求められていると考えた。社会に根強く存在する家父長制が生み出す暴力や抑圧の連鎖を止めるために民主的な場として機能する演劇という営みの中で、いかに変革の可能性を引き起こすことができるか。

筆者は以上の問いに迫る為、本研究では、筆者自身が携わるフィールド、京都を拠点として活動する舞台芸術カンパニー「共通舞台」が2024年 9 月に京都市東九条にある小劇場THEATRE E9 KYOTOで公演を行った『ロミオとジュリエット』の創作現場のフィールド調査を行った。フィールド調査および分析をするにあたり「ケアの倫理」という規範倫理学の一つの学説を手掛かりにした。「ケアの倫理」とは、アメリカの倫理学者・発達心理学者のキャロル・ギリガン(Carol Gilligan, 1937- )の著書『もうひとつの声』に由来し、ケアという実践活動の社会的属性がジェンダーにより不均等配分され、家庭生活にまつわるケアの営みを女性たちの多くが引き受けさせられてきた社会的、政治的状況を批判することから生まれた社会や政治についての考え方、判断のあり方である。従来の倫理学が前提とする男性中心の道徳的思考が、自己と他者を対抗的に捉える権利という普遍的概念を中心に公正さを捉えている一方で、ケアは、自己と他者の個別の関係性から生じる責任という概念を中心に他者のニーズへの応答を捉えるという新たな視点を提供する。複数の視点や声の「他者性」と向き合い、さまざまなコミュニケーションを通して信頼と尊敬を深め、共に思いやることでその人々の間に連帯感が生まれていく。このケア実践のプロセスこそが民主主義の根幹であるという主張のもと、創作活動のケア性、活動中のケア的実践に注目しながら、それらの責任配分を核に添えるフィールドの在り方を模索する。

このフィールドでは、「個人の変化」を重視することで結実する関係性を創作の土台としており、多様な背景を持ち、自己や社会の「変化」を求めて表現を追求する意志を持ったクリエイションメンバーが集う。個人は、自己と集団の変化に関わる主体性を要請される上、他者や自己の奥底と対峙していくが、筆者はその過程で顕在化される「脆弱性」に積極的に目を向ける。本論文は、質的研究の手法であるオートエスノグラフィーの手法を用い、筆者自身が自己の変化を通じて生じた気付きを記述し、当事者としての生きた経験を自己再帰的に考察した。

第一章では、「ケアの倫理」が目指す「ケアを中心とした民主主義」についての述べた上で、演劇が持つ特徴に潜在する暴力性を確認し、実践において「ケアの倫理」がいかに重要な視点であるかを確認した。

第二章では、今回のフィールドが掲げた創作方針や演出家がクリエンションメンバーに要請する条件を確認し、それらを実現させるために設計されたフィールドの在り方について述べた。

第二章以降は、筆者自身が主観的に記述した日記の記録等を題材にしながら、8つの物語を展開した。物語における主語を「私」とし、文体は論文体ではなく口語体で綴った。

第三章では、フィールド調査および自己再帰的な考察から、演劇創作のフィールドが持つ可能性を再確認し、責任概念の見直しの重要性を明らかにした。従来の責任論では、行為の結果に対して個人が過去に遡って責任を負うことが強調されてきたが、責任は常に関係性の中で生まれるものであると考え、責任を担う能力や手段についての開かれた対話を重視すべきである。創作活動の中でケアが自然発生的に行われる場面では、不平等な関係が見過ごされる危険性があり、創作を行うベクトルとは別のベクトルとして、「責任」という概念を絶対的なものとして扱わず、社会的な文脈の中で理解して、常にあらゆる複数の思考性が交差する開かれた対話を通じて、ケア責任が配分されるべきだと結論づけた。

筆者は、「ケアの倫理」とオートエスノグラフィーが様々な社会課題に向き合う為の有効な方法論となり得ることを提案した。本研究では、この方法論により、文化・社会・政治の文脈における課題に対して、演劇を介した新たなアプローチが提供される可能性を示唆している。