京都芸術大学 アートプロデュース学科

2024年度 奨励賞

他者を詠う

木下龍也『あなたのための短歌集』における作中主体分析

前川 瞳さん
山下ゼミ

📝要旨📝

本論文では、木下龍也(1988-)の短歌集『あなたのための短歌集』(2021年、ナナロク社)を題材に、本書における作者、作中主体(作中の登場人物)、読者の関係性がどのように構築されているのかを考察することを目的としている。

 短歌とは、日本において古くから続く詩歌の形式であり、5・7・5・7・7の31音で詠まれる特徴を持つ。従来の短歌は「一人称詩」として作者の内面や経験を表現する形式が主流であり、特に明治以降は与謝野鉄幹(1873-1935)や正岡子規(1867-1902)によって作者と作中主体が一致することが重視された。

 2010年代に歌人として活動し始めた木下は、2017年から2021年にかけて短歌の個人販売「あなたのための1首」を行った。この取り組みは、依頼者がメールで送る「お題」を基に木下が短歌を制作し、便箋に書いて封書で届けるというものである。依頼者から寄せられる「お題」は、絵本や迷子といった従来の題詠のような単語もあれば、依頼者が経験したかのようなエピソードや人生相談のようなものも多い。短歌集『あなたのための短歌集』には、制作された約700首のうち依頼者の許可を得た100首が収録され、右ページに依頼者からのお題、左ページに木下の短歌という形式で構成されている。

 本書の短歌における作中主体に着目すると、〈私〉という一人称代名詞が使用されていても〈私〉は作者の木下ではない。本論文では『あなたのための短歌集』において、短歌そのものの中には不在となった木下を発見することを目的とする。

 第一章では、短歌の歴史を辿りながら、作者視点と読者視点から作者と作中主体の関係がどのように変化してきたのかを明らかにし、木下が歴史の中でどのように位置づけられるのかを考察した。

 明治以降、短歌で詠まれている〈われ〉は作者だと疑わずにいた「読み」と「詠み」が、戦後の前衛短歌運動によって、作者と切り離されて詠み、読まれる試みがされた。1980年代には、俵万智(1962-)に代表されるライトヴァースと呼ばれる世代が誕生し、口語で明るい身近なモチーフや日常を詠った歌で注目を集めた。この世代の作者は明治時代からの「自分自身を詠う」という前提や、作者と作中主体が一致していないことを問題とする意識はさらに薄れていった。その後、修辞がさらに尖鋭化されたニューウェーブといった文学運動が起こり、作中主体を連想できる短歌よりも言葉の面白さ、機知に重点が置かれるようになった。

 このような流れの先で、木下は2013年に第一歌集『つむじ風、ここにあります』を刊行した。木下の短歌においても、作者自身を表現するよりも着眼点の面白さや、イメージの飛ばせ方に注力しているように感じられる。木下の作風は、ニューウェーブという短歌史の流れの延長線上にあると言えるだろう。

 第二章では、木下の『あなたのための短歌集』と俵の『サラダ記念日』を比較し、それぞれの短歌における、作者、作中主体、読者の立ち位置を分析した。作者と作中主体に注目すると、俵の短歌集では一貫して作中主体は「若い女性像」であり、物語のように短歌を通してストーリーを展開している点から、読者は作者の日常を詠った短歌だと読める。俵は、自身の短歌を「原作・脚色・主演・演出=俵万智、の一人芝居」と語り、作者=作中主体のような短歌を詠いながらも、それらは「演じている」とし、作者自身と読める人物をドラマチックに描いている。

 一方で木下の短歌は、1首ごとに全く違った場面が構成されている。作者である木下は短歌の制作プロセスを通じて作品に関与しているものの、作中主体として短歌に立ち現れることはない。しかし、「お題」や本書の制作背景といった付加情報を通じて、依頼者からのお題を再解釈し、新たな物語を作り上げ、短歌を構築する「演出家」としての立ち位置が浮かび上がる。

 読者の立ち位置に注目すると、俵の短歌では読者は主人公の日常や感情を追体験する「観客」として位置づけられる。そして、木下の短歌においては、「依頼者から与えられたお題を木下が短歌で返す」という付加情報によって、読者は短歌の外に広がる木下と依頼者の2人の空間をのぞき見するような立場に置かれるとした。

 第三章では、木下の短歌集において、短歌集の中に「木下」を発見する要因となった付加情報が、依頼者および読者の「読み」にどのような影響を与えるのか考察した。本章では、「お題」が短歌を「依頼者との共同制作」として成立させていると同時に、「短歌の中の依頼者」が現実の依頼者とは異なる虚構であることを示していると主張する。そしてこの「読み」は「木下は依頼者のことをよくわかってくれる」という木下が生み出した表現を絶対視し、依頼者が表現の受動者となる危険性に対抗する。

 以上から、これまでの短歌は作者と作中主体の結びつきがあるものとする「読み」に対し、徹底的に他者を詠う『あなたのための短歌集』において、本論文では木下を「演出家」として位置づけ、本書を「依頼者との共同制作」として捉える。そして読者は、付加情報により短歌外にいる木下と依頼者まで見渡せる俯瞰した視点を得て読んでおり、この短歌空間の広がりが従来の短歌にはない新しさであるとして本論文の結論とする。