2024年度 奨励賞
呪縛を解放する
石内都が撮影した多層的な女性像としての『Mother’s』
- 森本 千琴さん
- 山下ゼミ
📝要旨📝
本論文では、2002年に出版された写真家・石内都の写真集『Mother’s』(蒼穹舎)を研究対象に、娘である石内が母の遺品や母の身体をどのように撮影し、鑑賞者に何を見せているのか、そして石内の「喪失の表現」とは何かを探究していくものである。その手がかりとして、『Mother’s』に先立って1990年に出版された写真集『1・9・4・7』(IPC)と、『Mother’s』出版の6年後である2008年に出版された写真集『ひろしま』(集英社)を扱う。『1・9・4・7』は女性の身体をテーマにした写真集であり、『ひろしま』は原爆遺品を撮影しているなど、『Mother’s』と重なり合う部分があり、本書を考察する手がかりになると考えたからである。
『1・9・4・7』は、撮影当時の石内と同じ40歳の女性の手足をクローズアップで撮影した大判のモノクロ写真集である。石内はしわや角質、爪のささくれなど彼女たちの皮膚に刻まれた時間の痕跡を観察するようにして撮影した。写真キュレーターの山岸亨子(生没年不明)は評論「固有の肖像としての身体」において、その皮膚には「窮屈」「おしこめられ」られるように扱われた痕跡があったと述べている。石内は、若いとは言えない年齢の彼女たちの皮膚を、長く痛みを分かち合ってきた同志や、自分自身のように撮影した。それは、何度みても見尽くせないほどの豊かさを湛えた身体として私たちの前に現れた。『1・9・4・7』は、女性の身体が「若く」「きれい」な商品として見ることから解放する。石内の写真は、被写体である女性たちが経てきた時間とその時間が刻まれた皮膚を、豊かで美しいと肯定するのである。
『ひろしま』は、広島の平和記念資料館に収蔵されている原爆遺品を撮影した写真集である。これまで「被爆地ヒロシマ」を撮影した写真家は、土門拳(1909-1990)の『生きているヒロシマ』(研光社、1958年)に代表されるように、「憎悪と失意」の記録として撮影され、原子爆弾の被害を忘れてはいけないとのメッセージが写真集に込めていた。それらヒロシマ写真は、「被害者であるわたしたち」という連帯の象徴にもなっていた。
一方、石内は、ワンピースや化粧品などの肌に触れる原爆遺品を多く被写体にした。石内が撮影した原爆遺品の写真には、引きちぎられていたり、焦げ跡があったり、原子爆弾がもたらした惨劇の痕跡がはっきりとある。同時に、例えば手作りと思われるワンピースの1つ1つの縫い目や、布の質感、袖の形、明るい色など、それぞれの衣服のディティールの美しさに目が引き寄せられる写真でもある。石内の『ひろしま』は、原爆遺品を、怒りや悲しみ、あるいは「被害者である私たち」という連帯の象徴から解放し、鑑賞者にこの遺品を身につけていたひとりひとりが過ごしていた日常を思い起こさせ、そのひとりひとりが原爆に晒されたことを想像させるのである。
あらためて、『1・9・4・7』と『ひろしま』の間に撮影された写真集『Mother’s』を考察する。ここには、石内の母親の遺品や身体を徹底して観察するように撮影した写真がある。石内は母を亡くした悲しみや喪失感などの感情を抱きながら、静かな眼差しで被写体に向き合う。そこには、「母」という役割だけではなく、ひとりの女性として生きた痕跡があった。『Mother’s』には、母と娘という親子関係に内在する「母性愛神話」や「娘としての期待」を解体し、固定された役割を超えた存在を描き出している。
これら三つの作品には、「徹底した観察」によって、被写体が持つ記憶や時間をそのままに捉え、撮影しているという共通点がある。『1・9・4・7』では、石内は、「女性の身体は「若く、きれい」であるべき」という期待を内面化した女性たちに、その呪縛から自身を引き離す可能性を提示した。
『Mother’s』では、娘である石内が母の身体や遺品を徹底的に観察し、撮影したことで、「母」に向けた期待から解き放たれ、「ひとりの女性」であると発見した。呪縛から脱した先には、「ひとりの女性」「ひとりの人」が佇んでいたのだ。
『Mother’s』の後に撮影された『ひろしま』では、原爆遺品を緻密に観察し、それが被爆の痕跡をはっきりと持ちながら、なおも美しいことを私たちに知らせた。石内の作品は「被害者である私たち」という怒りによる連帯感をほどき、「ひとりの人」それぞれの生活があったことを想起させる。これは、『Mother’s』の制作において「母性神話」という呪縛、母娘という身近な連帯を解いていった石内だからこそ可能だったと考える。
人や物をある見方で固定することは、その物や人、自分自身の可能性を閉ざし、頑なにする呪縛にもなりうる。石内の写真は、私たちが内面化した呪縛を私たち自身でひとつひとつ解放する術を与えてくれるのである。
参考文献
・笠原美智子「ヴェネツィアビエンナーレ日本館公式サイトカタログテキスト「石内都:未来の刻印」」
・山岸亨子「固有の肖像としての身体」石内都『1・9・4・7』IPC、1990年