京都芸術大学 アートプロデュース学科

2024年度 奨励賞

「無思考の大衆」を生まないために

ワイマール共和国から学ぶ民主主義の脆弱性と教育の役割

ミラー ロッティー 響子さん
蔭山ゼミ

📝要旨📝

総務省の統計によれば、日本における投票率は低迷しており、特に若年層の投票率が依然として低水準にとどまっている。この現象は、民主主義社会において重要な問題の一つとして位置付けられる。本論文は、現代日本において「無思考の大衆」を生まないために、ドイツ・ワイマール共和国の教育制度とその崩壊から得られる歴史的教訓を基に、日本の教育制度の課題と解決策を探るものである。

 第一章では、ワイマール共和国の教育制度とその社会背景を明らかにする。

 ワイマール共和国は、第一次世界大戦後の民主主義国家として誕生し、自由、平等、多様性を基盤とした先進的なワイマール憲法を制定した。この憲法に基づき、無償教育や教育の民主化、宗教的中立性の確保、創造的な学びの重視が推進された。しかしながら、ハイパーインフレーションや世界恐慌による経済的混乱、政党間の対立、左右勢力の衝突により社会は不安定化していく。このことは、政治と経済の相互関係を明らかにするものであった。

 第二章では、ナチス政権の行ったプロパガンダと教育の変容について分析する。

 ナチスは、経済的困難と社会不安を背景に、大衆を操作するプロパガンダを駆使して支持を集めた。特に、「背後からの一突き」などの陰謀説や反ユダヤ主義的なプロパガンダを利用し、共通の敵を作り出すことで国民の不満を巧みに利用した。その結果、教育制度は人種的・政治的優越性を強調する内容に改編され、軍事教育やイデオロギー教育が強化された。このようなプロパガンダの成功と教育の変容は、民主主義社会の脆弱性を示すとともに、教育が社会構造や思想の変化から大きな影響を受けることが浮き彫りとなった。

 ではなぜ大衆はこのようなプロパガンダに誘導され、またその後反発しなかったのか。政治哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906-c.1975)は、『全体主義の起源』で「極度の不安は、明快で強いイデオロギーを受け入れやすいメンタリティを生む」と述べている。この指摘は、それまで政治に関心を持たなかった人々(無思考の大衆)が、不安や不満を解消してくれる分かりやすい答えを求める傾向を的確に捉えたものである。

 第三章では、現代日本の教育が無思考的な態度を助長する可能性を指摘し、その問題点を検討する。

 現代の日本社会では、フェイクニュースや脱真実の風潮に対抗するため、生徒に主体的な判断力を養う「主権者教育」の重要性が増している。しかし、教育現場で求められる厳格な政治的中立性により、政治に関する教育が知識伝達型に偏り、生徒が意見を形成し議論する機会が制限されている。この状況は、ハンナ・アーレントが指摘する「無思考の大衆」の形成を助長する可能性があり、社会的不安が強まる中で強いイデオロギーへの依存を招危険がある。この課題を解決するには、教育内容やその実施方法について抜本的な見直しが必要であり、特に政治的中立性を再考し、意見形成の場を提供することが重要である。

 第四章では、主権者教育と政治に関する教育の統合を目指し、他国の教育例を参考に改革の方向性を提示する。

 主権者教育と政治教育の効果的な統合を目指し、ドイツやスウェーデンの教育事例が参考になる。例えば、ドイツの歴史教育では、比較・検討・分析・評価を重視し、単なる暗記ではなく多角的視点から歴史を学んでいる。これを通して、「反対する市民(いざという時に反対できる市民)」を育成する教育が行われている。加えて、スウェーデンでは、生徒に「目指すべき社会」を考えさせ、個人の自己決定や他者との関係構築を重視した教育が行われている。これは、他者と共生する社会の在り方について考える力を養うことが目的とされている。これらの教育は、生徒の主体性や他者との関係性を強化し、社会に積極的に参加する意識を育むものである。「覚えるべきルール」としてある日本の教育においては、メディアリテラシーやフェイクニュースへの対処能力の強化や、多様な視点を提供する教材の開発、社会と接点を持つ教育プログラムの導入がより一層求められる。

 本研究は、ワイマール期の歴史から得られる教訓を基に、現代日本における教育改革の方向性を提示したものである。「無思考の大衆」の危険性とは、教育が国家に支配され、民主主義が危機に陥る可能性を示唆していることである。この課題を克服するには、教育と政治の「制度的分離」と「カリキュラム的統合」の実現が不可欠である。具体的には、以下の3点が提案される。第一に、生徒が多様な視点から考察し、自ら判断する力を養う教材の整備。第二に、特定の思想を押し付けず、多様な意見を議論できる教育環境の整備。第三に、社会課題への対応策を探求し、生徒の主体性を高める機会の提供。これにより、冷静かつ建設的に社会問題に向き合える市民意識を育成し、多様性を尊重した対話を重視する教育が可能となると結論付けた。

 ワイマール期の失敗から学ぶべきは、民主主義社会の持続可能性を確保するためには「無思考の大衆」を生まないことが重要であり、それこそが民主主義における教育の役割なのである。