2019年度 同窓会特別賞
子どもの発達におけるミュージアムの役割
- 西村 歩さん
📝要旨📝
本論文では、子どもの社会情動的スキルを育てる場としてミュージアムを提案する。
筆者は、子どもの発達において、認知的スキルよりもまず社会情動的スキルが健全に育つことが重要であると考える。認知的スキルとは、読み書き算数などの知識や技術のことを指し、社会情動的スキルとは、忍耐力、思いやり、自信など、認知的スキルでない力全般を指す。清水洋幸は、子どもの発達を「育ちの木」に例え、「幹・枝・葉・花・実」を認知的スキルに、「根」を社会情動的スキルに例えた。清水は、根が育たなければ枝や幹が大きく成長しないように、子どもの発達においても、「根」を強く張ることが重要であるとし、社会情動的スキルの重要性を主張した。
筆者は、清水の「育ちの木」像を踏まえ、「根」の育つ「土」に注目した。「土」とは、子どもが育つ環境全てであり、家庭、保育園・幼稚園、学校、地域社会などがその具体例として挙げられる。子どもの発達において「根」が重要ならば、その「根」が育つ「土」はより重要であると筆者は考える。
子どもに最も大きな影響を与える「土」としては、まず家庭や学校が挙げられるだろう。しかし、現代では早期教育をはじめ、学校や家庭で認知的スキルを過度に重視した教育が行われる傾向にある。このような状況では、社会情動的スキルを充分に伸ばせずに大人になってしまう可能性が高い。そのため現代は、学校や家庭とは異なる社会情動的スキルを伸ばす「土」となる場が求められているのではないだろうか。筆者は、その一つとしてミュージアムを提案する。
本論文で扱う「ミュージアム」とは、美術館、博物館だけでなく、科学館やチルドレンズ・ミュージアムを含むものとする。これは、展示施設や収蔵庫としてのミュージアムの役割よりも、そこで行われるワークショップなどのプログラムが、ミュージアムが「土」として機能するには重要であると考えるからだ。だが、一時的なワークショップのみでも「土」にはなり得ない。建物と専門職員を備えた、その地域にあり続けるミュージアムだからこそ、子どもの育つ「土」になると主張する。
本論文では、第1章で清水の「育ちの木」を踏まえ、「幹・枝・葉・花・実」を知識・技術などの認知的スキルに、「根」を忍耐力や思いやり、自信などの社会情動的スキルに例えた。そして、子どもの社会情動的スキルを伸ばすことの重要性を述べた。続く第2章では、社会情動的スキルである「根」が育つ環境としての「土」の実態を、北イタリアの保育実践であるレッジョ・アプローチから明らかにした。続いて第3章では、ミュージアムが良好な「土」となりうることを証明するため、「土」に必要な要素として①自由と主体性が保障されること②関係性があること③創造性が発揮できることの3点と、その前提としての「YOU的他者がいること」を取り出した。そして第4章では、三つの条件と前提をミュージアムの事例と照らし合わせた。ミュージアムの事例としては、まずキッズプラザ大阪を取り上げた。キッズプラザ大阪において、子どもたちは、親や教師・教科書から正解を教わるのではなく、ワークショップの中で自分の頭を働かせて、自信や忍耐力などの社会情動的スキルを身につけている。つまり、キッズプラザ大阪のワークショップスペースは子どもの「根」が育つ良い「土」として機能していると言えるだろう。続いて、安曇野ちひろ美術館が開催していた安曇野アートライン・サマースクールを取り上げた。安曇野ちひろ美術館は日常的な活動を通しても幅広い年代へのアプローチを行なっているが、中でも2002年から2012年まで開催された安曇野アートライン・サマースクールは、良い「土」として機能していた。さらに、安曇野ちひろ美術館は、安曇野アートライン・サマースクールを通して、良い「土」としての環境を館外の松川村へと広げていた。松川村の人々が、安曇野アートライン・サマースクールをきっかけに、良い「土」の条件と前提を身につけ始めたのだ。このことから、安曇野ちひろ美術館は、美術館自体が「土」として機能するだけでなく、「土」としての子どもの社会情動的スキルを伸ばす環境を館外へ広げていたことが明らかになった。
今、美術館の「教育普及」という言葉は、「ラーニング」という言葉に変わりつつある。「教育普及」は「教え諭して、文化芸術を拡げる」という意味を持つ。これは、知識のある者が無い者に一方的に教えることである。対して、「ラーニング」には、「学びを共有する」「教える人も学び、学ぶ人も教える」という意味が含まれている。つまり、これからのミュージアムは、来館者とともに互いに学び合うことを目指しているのだ。
これからのミュージアムの役割は、作品の保管や展覧会企画のみではない。ミュージアムは子どもの発達においても大きく影響を与える場である。筆者がこのように考えるようになったきっかけは、自身が子どもの頃に安曇野アートライン・サマースクールに参加し、自信や目標への情熱、社交性などの「根」を育てられたという実感があるからだ。また、キッズプラザ大阪でのインターンも筆者にとって子どもと関わる上で大きな経験になった。他にも、筆者は大学4年間で、京都国立博物館の「文化財ソムリエ」や、こども☆ひかりプロジェクト、佐久市子ども未来館のキッズサポーター養成講座等に参加してきた。これらの活動を通して、筆者は、ミュージアムが子どもの発達において重要であると理解し、熱心に活動している多くのミュージアム関係者に出会った。
このような活動を通して筆者は、子どもたちのYOU的他者となり、ミュージアムを通して子どもの「根」を育てる活動がしたいと強く思うようになった。筆者の考える子どもの発達におけるミュージアムの役割とは、子どもの社会情動的スキルを育む環境をつくり、その環境をミュージアムの外にも広げていくことである。そして、一つでも多くのミュージアムが子どもの「根」が育つ良い「土」となることを願っている。