京都芸術大学 アートプロデュース学科

2018年度 同窓会特別賞

カッコよくて野暮ったいひらパー兄さん

──標準性と土着性の間で苦悩した、ひらかたパーク100年の歴史から生まれた男──

西 沙矢子さん

📝要旨📝

大阪府枚方市に拠点を置く遊園地「ひらかたパーク(以下:ひらパー)」は、京阪電気鉄道株式会社の関連会社、株式会社京阪レジャーサービスが運営している。2005年まで、毎秋に園内で開催されていた「ひらかた大菊人形」を知る人も多いだろう。ひらパーには現在、「ノームのなかまたちたち」というオリジナル・キャラクターのほかに、「ひらパー兄さん」というPRキャラクターが存在する。ひらパー兄さんの特徴は有名タレントを起用している点であり、その役は現在、枚方市出身でジャニーズ事務所に所属するタレント、岡田准一(1980 – )が務めている。

ひらパー兄さんについて、レポート「イベントと話題提供の工夫でアトラクション依存から脱却へ」(『月刊レジャー産業資料』綜合ユニコム、2014年)は、「入園者数の回復を図る」ための「話題づくり」であると語る。また、フリーライターの福原一緒は「遊園地「冬の時代」に孤軍奮闘「ひ〜らパ〜♪」はオモロイ遊園地へ」(『examiner』イグザミナ、2012年)において、「遊園地らしからぬ(?)設定と面白さが大好評だ」と述べる。さらに、「ひらパー兄さん」というキャラクターおよび企画の仕掛け人・河西智彦(1976 – )は著書『逆境を「アイデア」に変える企画術〜崖っぷちからV字回復するための40の公式〜』(宣伝会議、2017年)において、地元出身のアイドルである岡田を起用することで、低迷していた集客数を戦略的に「V字回復」させたと語っている。いずれの記事や書籍でも、2000年代における集客数の低迷を打開するものとしてひらパー兄さんを紹介しているのである。

こうした先行研究に対して本稿では、ひらパーがどのような歴史を辿ってきたのか、その歴史を踏まえ、ひらパー兄さんがどのような存在なのかを考察していく。というのも、ひらパーはその歴史の長さにもかかわらず、管見の限り、その歴史が十分に検討されることはこれまでなかったからであり、さらに本稿の結論を先取りするならば、ひらパー兄さんとは、100年以上続くひらパーの歴史的必然によって生まれたものといえるからである。

そこで、本稿ではまず第1章において、ひらパーの経営方針や集客数の変化からみた4つの転換点を軸に歴史を辿る。すなわち、(1)経営不振に陥り、菊人形興行を取り入れた1910年の設立当初、(2)都心部が大大阪の時代に突入し始め、園内施設を近代化するなど経営方針を変化させた1925年前後、(3)首都圏にディズニーランドが開園し、集客数が落ち込んだ1983年前後、(4)大阪にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(以下:USJ)が開園し、毎年開催されていた菊人形興行が終了した2000年代である。第2章から第5章では、第1章で取り上げた、それぞれの転換期においてひらパーがどのような対応を行ったのかについて考察する。第2章では、1910年の経営不振の際に対応策として取り入れた菊人形興行について言及する。枚方市の郷土資料や当時の新聞記事などを参考に、当時、菊人形興行が全国的に流行しており、ほかの関西私鉄運営の遊園地でも開催されて人気を博していたこと、ひらパーはそうした菊人形興行を経営不振の対応として取り入れたことを明らかにした上で、さらにその菊人形興行が毎年好評となり、後年にはひらパーだけでなく地域の代名詞とでもいうべき存在になるほど定着していったことを述べる。第3章では、都心が大大阪の時代に差し掛かった1925年前後の当園の様子ついて取り上げる。都市の発展に伴い、都会の人々が近代的な娯楽を求めていくのに合わせ、ひらパーはボート池や飛行塔などの近代的な施設を設けつつ、都市生活者の慰安のため自然の景観を押し出した郊外遊園地を目指したこと、それと同時に、「ひらかた踊」など枚方にゆかりのあるイベントを行い始めたこと、それはほかの関西私鉄遊園地との差異化を図る必要が生じたためであることを明らかにする。第4章では、1983年にディズニーランドが開園し、集客数が減少したことへの対応策の一つとして、ひらパーがオリジナル・キャラクターを作成したことについて述べる。1985年には、まるでディズニーランドのキャラクターに倣ったかのようなデザインのキャラクター「ギャビーガルタン」を生み出したこと、1996年には園内リニューアルにともない「ギャビーガルタン」に取って代わりノームのなかまたちが登場し、ノームたちは園内に住むだけではなく、最寄り駅・枚方公園駅においても乗客を迎えるほどに枚方という地に定着したことを明らかにする。第5章では、大阪にUSJが誕生し、かつ「ひらかた大菊人形」が終焉を迎えた2000年代に、有名タレントを起用したひらパー兄さんを誕生させたことについて言及する。2009年からその役を務めた吉本興業所属のお笑いタレント・小杉竜一(1973 – )は、ひらパーの身近な存在としてコマーシャルやポスターに登場し、その奇抜さが全国的に話題になるが、4年後には姿を消す。小杉の替わりに2013年から現在にかけてその役を務める人物こそ、俳優やアイドルとして活躍する岡田であり、彼は、全国的な知名度を持つジャニーズ事務所のタレントであると同時に、枚方の地を故郷に持つという性格を持っていることを明らかにする。以上の対応策や、対応策として生み出したキャラクターについて詳述したのち、終章では、ひらパーが100年の歴史の中で直面した転換に対し、ほかの施設の取り組みや既に人気のコンテンツを参照したり、枚方という地域性を前景化したりすること、すなわち標準性と土着性を駆使することによって生き続けてきたことを確認し、ひらパー兄さんとは、そうした歴史の上で生まれ、標準性と土着性を一人で兼ね備えた存在であると結論づける。