2017年度 優秀賞
合掌と眼差し
──宗教施設としての耕三寺、観光地としての耕三寺──
- 耕三寺 顕範さん
📝要旨📝
潮聲山耕三寺(以下耕三寺)は、広島県尾道市にある仏教寺院である。耕三寺を建立したのは、大阪で鉄鋼会社社長/実業家であった耕三寺耕三(1891-1970 旧名:金本福松)である。耕三は自らを女手一つで育て上げてくれた母へ感謝するため、母の死後、43歳で得度し、耕三寺を母の菩提寺として、自らが住職となり建立した。寺院堂宇の建立は、1939年から、戦争による中断も挟みながら25年かけて継続的に行われた。また、耕三は仏教美術・日本美術・茶道美術などの蒐集家でもあった。寺院内の堂宇でそのコレクションの展示を行い、1953年からは寺院全体を国の登録博物館、耕三寺博物館として公開している。現在では観光地として多くの観光客が訪れるスポットとなっている。また、筆者は初代住職の曾孫にあたる。祖父が二代目住職、父が三代目住職を担っており、ゆくゆく筆者はこの寺院を引き継ぐこととなる。
耕三寺を他の寺院と比して特筆すべきは、寺院建築の数と様式の多様さである。通常、一般的な寺院では多くて3~5棟程度ある堂宇が、耕三寺では境内内に23もの堂宇が並ぶ。また、ほぼ全ての堂宇は、独自のものではなく、全国各地の著名な宗教建築を参照して建立されている。さらに、時に参照元となる建築にはない装飾が、過剰なほど新たに加えられているのである。例えば、本堂は平等院鳳凰堂を模して建てられているが、原作とは異なり朱に彩られている。また、その柱部分には、銀の彫刻が新たに多く付け加えられている。
目を突き刺すような朱色と、多数の彫刻を用いた装飾は、寺院建築には相応しくないキッチュな印象を与える。それぞれの堂宇に参照元があること――オリジナルではないこと――成立した時期が戦後であることや実業家が個人で建立したという経緯も、特殊な印象――胡散臭さ――を与えるであろう。
そのため耕三寺はしばしばその宗教施設としての真正性を疑われ、インターネット上でも「B級寺院」や「フェイク寺」といった評価も見受けられる。その一方で、建築学者の三浦正幸は、『瀬戸田町史』(瀬戸田町教育委員会、2001)の中で、耕三寺のそれぞれの堂宇が何を参照しているのかを明らかにするとともに、原作との比較を行い、両者の相違点や特色を明らかにしている。また建築史家の鈴木博之は『日本の〈地霊〉』(講談社、1999)の中で、耕三寺の建築に数寄屋建築における「うつし」の概念を参照し、耕三寺が既存施設を「うつし」たことを、参照元との縁を結ぶ効果があると述べている。
第一章では、三浦の論を参照することで、耕三寺の各堂宇がどのように作られたかを改めて整理し、1939年から1941年までに建立された堂宇を前期堂宇、1952年から1964にかけて建立された堂宇を後期堂宇と分類する。その上で、前期堂宇が参照元を比較的忠実に再現しているのに対して、後期堂宇が過度な装飾を施していることを確認する。第二章では、鈴木の議論をベースにJ・G・フレーザー(Sir James George Frazer 、1854-1941)の論を参照することで、前期堂宇において耕三は、既存の由緒ある寺院を原作として再現することで、既存の寺院との呪術的な縁を結び、新規寺院である耕三寺の宗教施設としての真正性を確保しようとしていたことを指摘する。第三章では、後期堂宇の建立においては、耕三寺を観光地としての価値を高めるため、観光客の見る悦びに奉仕すべく装飾過多になっていったことを論じる。第四章では、前期に目指した宗教施設と、後期に目指した観光地との差異を明確にすべく、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin、1892-1940)の論文「複製技術時代の芸術作品」(1936)を手がかりに、「礼拝的価値」と「展示的価値」という、相反する価値体系についての議論を整理する。こうした議論を踏まえて第五章では、現代の多くの宗教施設では、その二つの価値体系が混在している矛盾が隠された状況で運営されていることを指摘する。しかし、現在の耕三寺の堂宇には、前期において重んじられた「礼拝的価値」と、後期において重んじられた「展示的価値」という、相反する価値が、あからさまなかたちで共存していることを明らかする。耕三寺は、既存寺院を参照した堂宇を数多くたてる、あるいは、堂宇に華美な装飾を過剰に施す、といった手法を使い、自身が真正性のある宗教施設であること、観光地として眼差しを向けられる場所であることを表現してきた。そのため宗教施設と観光地の混在は、はっきりと目に見える形で現れている。こうした議論を踏まえ、耕三寺が「フェイク寺」や「B級寺院」と呼ばれるようになった耕三寺のキッチュさは、現代の宗教施設が抱える矛盾が表出したものだと結論付ける。終章では、宗教施設と観光地の混在した耕三寺にあって、歴代の住職がどのような活動を行ってきたかを振り返り、著者は現代美術を利用することで、その混在と矛盾を受け止め寺院の運営に当たるという展望を述べる。