京都芸術大学 アートプロデュース学科

2025年度 奨励賞

語りに耳を澄ます

書籍『王滝村の生活史』を制作して

長濱 枝音さん
山下ゼミ

📝要旨📝

「過疎」や「過疎地域」といった言葉は、多くの場合、メディアを通して「地方の衰退」や「地方消滅」などの概念と結びつけて語られてきた。実際、過疎という状況は産業基盤の弱体化、地域経済の衰退、地域コミュニティの機能低下など、様々な課題を生じさせる要因となり得る。

 しかし、過疎地域に暮らす人々は、自らが置かれている状況をどのように捉え、自身が生活する地域に対し、どのような思いや展望を抱いているのだろうか。筆者はこの問いを出発点として、過疎地域である長野県木曽郡王滝村において、同村の住民に対する聞き取り調査を行った。

 王滝村は、長野県木曽郡に位置する人口六二八人(令和七年八月現在)の村である。村民の間で「今後、長野県内で1番はじめに無くなる村」とも囁かれており、過疎地域の中でも極めて深刻な状況にある地域と言える。

 筆者は大学二年生の夏に、教員に紹介された学科インターンの一環として、初めて王滝村を訪れた。その後、四年生となった今日に至るまで、長期休暇などを利用して定期的に赴いている。神奈川県で育った筆者は、それまで「過疎地域」に対して、「人が少なく閑散としている」「活気がない」といったイメージを漠然と抱いていた。しかし、実際に王滝村を訪れた時、村民同士が集まって畑仕事をしていたり、地域でイベントが盛んに行われていたりという、賑わいのある様子を目の当たりにした。さらに、約二週間にわたって村で生活をする中で、現況に対して悲観的にならず、飄々と毎日を過ごしている村民もいることに気づいた。筆者が「過疎地域」という言葉やメディアの情報のみから想像していた地域像は、もしかすると視野の狭い、ひどく短絡的なものであったかもしれない。こうした経験から筆者は王滝村に興味を持ち、今回の卒業制作における題材とすることを決めた。

  筆者は王滝村に暮らす村民十六名に、一人あたり約一時間から二時間半程度の聞き取りを実施し、全ての内容を収録した書籍『王滝村の生活史』を制作した。「この村に居住する人たちはどのようなまなざしで、年々過疎が進行する王滝村を見ているのだろうか」という問いと、「彼らが日々見ている世界を、できる限り彼らのまなざしを介して知りたい」という思いが研究の動機である。

 本書に記されているのは、王滝村に住む村民の一部による語りであり、王滝村のごく断片的な一面に過ぎない。だが、今回の村民十六名から語られた内容を見渡してみると、このわずかな一面の中にも様々な価値観や思いが交錯していることが分かる。村民が村の好きなところとして挙げた「人」や「自然」などは、彼らが村をまなざす際の重要な要素である。一方で、村には魅力的な側面だけでなく、翳りの一面、さらには地域が誰かの人生の一部をなしているという側面もある。彼らのまなざしを通して見えてきた王滝村の姿は複雑かつ多面的であり、決して一言で形容できるものではなかった。

 地域を既成の通念に当てはめて、理解したつもりになることは容易である。だが、それらの地域も王滝村と同様に、無数の複雑な要素の上に成り立っている。これら全てを理解することはできないにしても、知ろうとする意識を持つだけで、既成の通念とは別の見方を得ることができるのではないだろうか。

 本研究ならびに本制作は、一貫して既成の通念から異なる視点で物事を捉えることを重視してきた。生活史研究の意義の1つは、人間・社会・時代に対する新しい見方を生みだす手がかりになることである。筆者は、「新しい見方」とは一概に言語化できるものではなく、様々な要素や記憶が複雑に絡まり合うことで形成されるものであると考える。

  王滝村の村民の語りは、それぞれが1人1人の人生や経験から紡ぎ出された独立したものであると同時に、私たちが生きる社会を捉え直すための新たな見方を得る手がかりとしての影響力も持ち合わせる。これらの語りに耳を澄ますことで、自分ではない誰かの思いや立場、人生を知り、新たな目線で物事を、ひいては社会を「新しい見方」でまなざすことができるのではないだろうか。