2025年度 奨励賞
生大喜利を「シリアスに」楽しむ意味
「ウケたい」と「スベった」を巡るコミュニティの意味
- 冨田 紫瑞花さん
- 山下ゼミ
📝要旨📝
大喜利とは、「お題に面白く答える」という言葉遊びであり、落語家やお笑い芸人が行う演芸として知られている。一方で現在、本業を別に持ちながら趣味として行う人々の集い、所謂「アマチュア大喜利」が盛り上がっている。本研究では、アマチュア大喜利の中でも対面形式で行われる「生大喜利」をシリアスに楽しむ人々を研究対象とする。
「生大喜利」は、SNSを介して参加者を募り、地域の貸会議室等を会場として行われる。参加者十数名の会から百名以上の大会まであるが、その企画・運営者もまた大喜利を趣味として楽しむ「アマチュア」である場合がほとんどである。いずれの場合も、参加者全員が回答者と観客の立場を入れ替えながら大喜利を楽しむという特徴がある。参加者の中には、週の半分以上集まりに参加する者、本業の傍ら月に二、三回の頻度で会を主催する者、友人や恋人、結婚といった濃密な人間関係を築く者もいる。生大喜利は単なる娯楽や暇潰しに留まらず、生計を立てるための仕事と同等、あるいはそれ以上に、時間と努力そして情熱を注ぎ込む対象となっている。
本研究では、このような参加者の姿勢を分析する枠組みとして余暇研究者ロバート・ステビンスが提唱した「シリアスレジャー」の概念を用いる。ステビンスは余暇時間に行う趣味への人それぞれの取り組み方について、その場限りで気軽に楽しむ「カジュアルレジャー」と、継続的に時間や努力を投入し、専門性や経験を蓄積してキャリアやアイデンティティを形成していく「シリアスレジャー」に分類した。シリアスレジャー研究は、趣味を個人の好みや気晴らしといった私的な領域に留まらせず、社会や文化の中での継続的な実践と捉え、そこから専門性、人間関係、自己認識がいかに形成されていくのかを明らかにする。また、実践者本人の中でいかなる価値を持つのか、他者および社会との関わりにおいて真剣な趣味活動はどのような効果や位置付けを持つのか検討するものである。
本研究ではこの枠組みに基づき、生大喜利のシリアスな参加者たちはどのように取り組み、その実践はいかなるプロセスでシリアスなものとなるのか、またその実践が参加者の人生でどのような意味を持ち、いかなる利益をもたらすのかという問いを設定した。
調査方法として、筆者が関西圏の生大喜利の集まりに参加し参与観察を行うとともに、生大喜利にシリアスに取り組む五名にインタビュー調査を実施した。その結果、参加者は言葉遊びとしての大喜利というゲーム自体の面白さだけを動機としているわけではないことが明らかになった。参加者の実践および語りに現れた熱意のあり方を、以下のように「ウケたい」という欲求を中心とした二つの循環構造として整理した。
第一に、「寛容による熱意の循環」がある。参加者はまず「ウケたい」という欲求をもって生大喜利の場に参加する。生大喜利はお題に即座に回答する瞬発力が求められ、回答者の価値観、話し方、思考の癖といった日常生活の側面までもが回答として表出し、他の参加者が即時に笑いという評価を返す。回答がウケた場合はさらに「ウケたい」欲求が強化される一方、「スベった」場合には精神的ダメージを受け、参加への意欲を失いかけることもある。しかし、生大喜利の場では〈「アマチュア」だからこその許容と回答の多様性〉によって失敗が受け止められ、さらに〈承認とそれ以上のコミュニケーション〉〈日常生活と切り離された趣味の場を介した「自分」の表出〉を経ることで、参加者は再び「ウケたい」という欲求に立ち戻る。
第二に、「役割による熱意の循環」がある。参加者は単なる回答者に留まらず、観客、主催者、コミュニティの一員といった複数の役割を担いながら、生大喜利の場全体を構成する主体として関与する。生大喜利の〈自己組織的なコミュニティ〉の中で参加者は〈生大喜利を通した人間関係〉に参加し、特定の役割やキャラクターを獲得していく。こうしてコミュニティ内で交流を重ねることによって、参加者の「ウケたい」という熱意は繰り返し喚起・強化されていく。
結論として、生大喜利の参加者は、ウケる成功体験だけではなく、スベるという挫折を不可避的に経験する構造の中に身を置いている。しかし、その挫折を参加者全員が共有できるからこその「寛容」を通じて、参加を継続している。また同時に、自ら生大喜利の現場を作り出し、その場の面白さの評価基準にまで関与しうる環境の中で「役割」を引き受けることによっても、参加を継続し、深化させてゆく。
参加者はこのような循環を通じて、回答や会の主催といった創作の楽しみ、ウケた・スベった体験を共有する喜び、人間関係の中で役割を担うことによる達成感など、複数の利益を得ている。生大喜利への取り組みは、家族、職場、学校などの日常生活とは異なる「もう一つの人生」を形づくり、多様な苦労や達成、交流によって参加者の人生の充足に寄与している。


