京都芸術大学 アートプロデュース学科

2023年度 奨励賞

使い勝手の良い神さまに誓った人々

明治に隆盛した神前結婚式を考察する

浜野 瑞生さん
山下ゼミ

📝要旨📝

 本論文では、明治時代に創作された神前結婚式の起こりと、神前結婚式が人々に受け入れられた背景を明らかにすることを目的とする。
 この論文の前提を、語句の扱いとともに記す。現在、婚姻を成立させるために法による承認と習慣による承認を行うことが多いが、これは明治31年(1898年)の明治民法制定による比較的新しい形態である。それ以前は「婚姻」と「婚姻儀礼」は同一であった。そのため本論では、明治民法制定前の婚姻及び婚姻儀礼は「婚姻(儀礼)」と表記し、明治民法制定後の婚姻儀礼を「結婚式」と表記する。
 宗教社会学者の石井研士(1954-)は、その著書『結婚式幸せを創る儀式』(日本放送出版協会、2005年)で各時代の婚姻と婚姻儀礼、結婚式を詳しく描写していた。筆者が関心を抱いたのは、明治31年(1898年)に明治民法が制定されたことで不可分であった「婚姻」と「儀礼」が分かれたこと、後に生まれた神前結婚式と、その流行であった。しかし、石井は神前結婚式が行われるようになった背景にほとんど触れていない。そのため、本論文は、明治時代に創作された神前結婚式とそれ以前の婚姻(儀礼)との差異を把握し、人々がどんな理由で新しい婚姻儀礼を取り入れたのか明らかにすることを本論文の目的とした。
 第一章では、明治以前の婚姻(儀礼)について述べた。古代から平安時代後期までは、男性が女性の家に通う「婿入り婚」の婚姻形態がとられた。その婚姻(儀礼)である露顕は、嫁の家が婿を繋ぎ留めるための「まじない」であった。
 その後に台頭した武家社会では、男性の家に女性が入る「嫁入り婚」の婚姻形態となり、「家」の重要性が高まった。婚姻(儀礼)は婚姻を結ぶ両家の者だけでなく、その地域の人々が多く関与し行われた。その目的は「家」の維持及び、嫁となる女性が地域に受け入れられ、地域社会を安定させることであった。つまり、明治以前の婚姻(儀礼)は、地域社会による承認を得るために行われていたのだ。
 第二章では、明治時代の婚姻(儀礼)に関わる時代の変化を述べた。
 第一節にて、明治時代における神道の流布とその影響を描写した。
 明治は幕藩体制から天皇を頂点とする中央集権政治が始まった時代であった。明治政府は国民の統率のため、従来の姿を隠す天皇から、積極的に姿を現す天皇をアピールした。更に、神道を国教として浸透させる大教宣布運動を行った。筆者は天皇を崇めるという神道は、人々に目新しいものに映ったと考える。だが、日本において神道は古くから産土神、鎮守の神として人々の地域に根付いていた。両者の性質は大きく異なるが、日本古来の神を崇拝するという点において神道とは当時、新しさと馴染み深さを持っていたと考察した。
 第二節では、明治31年(1898年)の明治民法制定が婚姻(儀礼)に与えた変化を明らかにした。
 明治民法第739条は、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出る事によって、その効力を生ずる」と定めた。この法により、婚姻は政府の承認のみで成立し、地域社会からの承認が必要なくなった。また、今まで不可分であった婚姻と婚姻儀礼が分裂した。
 第三章では神前結婚式の起こりと、その隆盛について考察した。第一節では、明治維新以後に生まれた婚姻(儀礼)について記述した。当人同士の承諾を前提とする契約結婚式や神から承認を得るキリスト教式を例に、当時の文明開化が婚姻(儀礼)にも影響を与えたことを述べた。
 第二節では、皇太子の神前結婚式と、その後の模擬結婚式について記述した。皇太子嘉仁親王(1879-1926)の結婚式は明治33年(1900年)に神前式で、豪華なパレードを伴い行われた。翌年には法制学者や神職らが、一般人が行うための神前式の模擬結婚式が二度、行った。この模擬結婚式の目的は「神道の布教」「天皇家の権威の神道」「国家の体制確立」だったと石井は述べている。当時、模擬結婚式は広まらなかったが、神前結婚式を皇室だけでなく一般の人々が行うための形式に編集し、開発されたことは注目すべき点だと筆者は考察した。
 第三節では、神前結婚式を拡大させた永島式結婚式について記述した。
 結納物調達商の永島藤三郎(1871-没年不明)が考案した永島式結婚式は、結婚式を行う家の格式や予算に合わせ、道具と神主、巫女らを手配し、婚家や会館へ出向くものである。儀式はイザナギイザナミの掛け軸の前で行い、短時間で終了する。永島式結婚式は、簡易であり厳かな点が、当時マスコミなどに大きな称賛を得た。
 第四節では、ここまでの変遷を踏まえ、神前結婚式が隆盛した背景の考察を行った。
 神前結婚式は、式次第はシンプルで、進行は神職に任せられる「簡易さ」があった。また、神前結婚式で婚姻を承認する「神」は当時、地域の人々より上位の存在であった。掛け軸をかければ現れる「神」の前で行う結婚式は、その目的である社会的承認の正当性を十分に担保するものだった。
 人々を取り巻く環境が激しく変化し続けた明治時代、政府は国民の統率のため神道や天皇を利用したが、人々はしたたかに「神」を「安上がりで便利」な婚姻の儀礼に使った。筆者は、明治時代の神前結婚式とは政府に準備されたものであったが、強要されたからでも、神の威信に平伏したからでもなく、人々が自身らの生活のため掴んだものだったということを本論文の結論とした。