京都芸術大学 アートプロデュース学科

2022年度 奨励賞

「まなざし」を背負う

女子高校生の「制服」像を紐解く

窪田愛弓さん
山下ゼミ

📝要旨📝

 「ある集団に属する人が着るものとして定められている服装」―日本に数多く存在する「制服」の、辞典に記された意味である。着用することで集団への帰属や従順を示すというのが、基本的・一般的な我々と制服の関係であるが、その中には、これらの意義を超える多くの価値が付加されている制服が存在する。女子高校生たちの制服である。
 本稿では、さまざまな先行研究と筆者が実施した独自インタビューを手がかりにしながら、女子高校生たちの制服に付加された価値とその構成要素について明らかにすることを試みる。また、これらを記述していく上で、社会的ブームの対象として、また集団として認識される彼女らの記号的な表記を「女子高生」、実在する高校生である彼女ら、つまり高等学校に在学している女子生徒を「女子高校生」と区別する。
 第一章では、日本の女子学生服の誕生と80年代の女子学生服改定ブームについて振り返る。その中で、明治期に誕生した「少女」の概念を確認し、女子学生服におけるセーラー服の浸透との関係を考察した。第二章で、90年頃の女子高生ブームの発生から衰退までの変遷を追い、同時に当時の女子高校生たちが語る「制服」像を先行研究や資料をもとに考察した。その中で、90年代の女子高校生にとって制服とは「女子高生」というブランドを主張し、仲間とのつながりや承認を生み出すコミュニケーションツールであったこと、また彼女らは街や学校などそれぞれの場に相応しいドレスコードとして制服を着用していたことを把握した。第三章では、女子高生とその制服が、女子高生〈以外〉の者にどのような文脈で語られてきたのか、前述した「少女」の概念と文学者の四方田犬彦(1953-)が提唱する、日本の消費社会を形成する三要素と日本人独自の「未完成のものを愛でるという美学」をもとに検証した。そして第四章で、筆者が2022年に現役女子高校生五名を対象に実施したインタビューについて、調査概要や対象者の紹介、発言を六つのトピックに分類して記録した。彼女たちはそれぞれ違う学校に通い、それぞれの衣服や制服で登校するが、共通して、制服が持つ「期間限定」の魅力に強く惹かれ、制服を着ることによって強調される若さを自覚し、学校で支持される「かわいい」制服の着こなしにこだわることで交友関係を築き、友人知人あるいは全世界へ向けて、こだわりの制服を着る自身の姿をSNSで自ら発信していた。彼女たちがインタビューで赤裸々に語った言葉は、情熱的とも言える制服への強いこだわりや憧れ、そして無邪気な制服への愛情に溢れていた。その無邪気さを可能な限り記すため、実施したインタビューの文字起こしを部分的に記載した。そして続く第五章にて、インタビュー記録を振り返り、彼女たちにとっての「制服」像とそれに伴う彼女たち自身のありさまを分析した。
 本稿を執筆するにあたって、軸となる筆者の関心ないし先行研究への問いは二つあった。一つ目は、女子高生の制服と他者からのまなざしの関係である。女子高生ブームのきっかけとして知られる書籍『東京女子高制服図鑑』を執筆したイラストレーター・制服研究家の森伸之(1961-)は、90年代と2010年代後半以降の女子高生の制服ファッションを比較し、2010年代後半以降の女子高生について「女子高生たちのドレスコードが緩み始めた」「マスメディアや世間にあてがわれた『女子高生』という役割からようやく解放された」と自身の著で語る。この言及に対し本稿では、世間においての「女子高生」のドレスコードが緩んだことには同意しつつ、ブームの終焉とSNSの普及によって、女子高校生間でのドレスコードはより緻密なものになったと考察する。
 二つ目は、女子高生とその制服に向けられる夢想的なまなざしについてである。先行研究を追っていくと、女子高校生〈以外〉の者が女子高生の制服に向けるまなざしについて、成人男性が「少女」性を求める夢想を論じているものが数多い。確かに、成人男性の「少女」への飽くなき欲求は、女子高生の制服を語る上で欠かせないものである。しかし本稿では、「制服」がその本来の意義を失わない限り、それを着用するのが女学生である限り、「少女」を投影するまなざしを向けるのは成人男性に限らないと考察した。
 そもそも社会に生きている以上、女子高校生に限らず、私たちは誰しもが常に他者からのまなざしに晒されていると言える。しかしその中でも、女子高校生たちとその学校制服は、とりわけ熱烈な他者からのまなざしを背負っているということを、本稿全編にわたって論じた。女子高校生たちは、時代を問わず、制服着用によって向けられる他者のまなざしから解放されていない、と結論づけて本稿を結ぶ。